2015年10月20日
最近の流行と言ってもいわゆる世間の流行ではなく、ただただ個人的な流行でしかないのですが海外のCMがなんだか良いですね。テレビCMというよりも4〜5分くらいある企業CMだったりがお気に入りなのですが、最近特に良いなと思ったのがタイのCMです。もうCMというよりもショートムービーですね、心温まる感じのものが多いのですがそれらをまた少し変わった見方を最近はしています。それはどういう見方かと言いますとCM自体の音声は消して、自分の好きな音楽をあてて見るというやり方ですね。これはなにが良いかと言いますと海外のCMなので日本語の翻訳が字幕で出ていたりして、音声を切ってみても内容が伝わってくるという所です。あとはもうこの感じにはこういう曲だなとか勝手にしてみるだけで、なかなか良い感じになります。そんなことをしつつ、学生の頃に好きな漫画の良いシーンとかに勝手にBGMとして好きな曲を流しながら読んだ事を思い出しました。なんだか元々そういう事が好きなんですね。今そういう事が少しは曲を書いたりする時に役に立っている様な気もしますね。
2013年09月2日
音楽に置き換えてみると
アレンジの効能1からの続き…
小説やなにかが原作の映画とは違い、メロディだけを知っているという状態はなかなか無いですが、音楽で言えば作曲者が出してきたメロディにアレンジを加えて行くという作業が一番近い様に思います。音楽を聴く時に一曲という括りであまりメロディとアレンジを切り離して聴くということはないと思いますが、個人的にそういう風に切り離して初めて聴いた曲は(意図的ではないですが)ピンクレディーというデュオの「UFO」という曲でした。多分どこかで一度は耳にした事のある曲だと思いますが、あのメロディにあのアレンジというのは何気なくではなく改めて意識して聴くと、衝撃が走ったのを覚えています。イントロを聴いただけでもすぐにその曲を思い浮かべられるというのは、もしかしたら音楽で言う所のアレンジの一番の成功例なのかも知れないと、個人的に今も思います。
また一方で映画で言う所のリメイクは音楽で言う所のカヴァーと意味合い的には同じだと思いますね。こちらの方が昨今なじみが深いと思うのですが、そのカヴァーしたアーティストの個性がよく伺えると思います。原曲を知っていて、もしくはカヴァーでその曲を知るとまちまちだとは思いますが、大体そのどちらのアーティストの個性も両立しているものが多いようにも思いますね。リスペクトといいますか「原曲を大事にしていますよ」という気持ちが何かしら伝わってくるものが、良い作品たらしめている様な気もします。
音楽に拘らずアレンジひとつでこうも作品の善し悪しが変ってくるというのは、改めて怖い事でもありますしまたその大切さをしみじみと考えさせられますね。
2013年07月21日
原作のある作品
原作を知っていて映画を観たらがっかりした、なんて体験を皆さんもお持ちではないでしょうか?私も最近まさしくこれを久々に体験したのですが、なんでしょうあのがっかり感は…。ハードボイルド小説が原作のその作品、タイトルは伏せますが内容を知っているし、始めの期待感が高いというのもあったのでしょうが、途中から悲しさすら覚えたのは初めてかも知れません。観終わった時にあまり有名なタイトルではないので普段行くレンタル屋さんでは置いてなかった事、探しまわったあげくに少し遠いレンタル屋さんに一本だけ置いてあるのを知ったときの喜び、実際に足を運んでみたらその一本だけ置いてあるのが借りられていた事…、せっかく来たので帰りに気落ちしながら初めて行く店で大盛りラーメンを食べた事、それが多すぎたこと、数週間後に行ってやっと借りられた時の喜び、そして同じラーメン屋に入って普通盛りを頼んでもやっぱり多かったことやら様々なそこに至るまでの過程をただ思い出していました。
アレンジのセンス
いや難しいですね、この手の類いはいつもそう思います。ただ逆に後から原作を知ってどちらも良かった、もしくは原作よりも面白かったなんて作品も沢山あると思います。普段あまりこの監督がとかは意識する方ではないのですが、こういった原作のある映画を観た時は特にその監督の個性、とりわけアレンジのセンスが問われているように感じます。原作に忠実にやるのか、壊れるくらい自分の個性をぶち込むのか、ただその映画の尺に納める為にどこを大事にしてどこを切り捨てて行くかというのは、原作があるものの方がやはりその人それぞれのセンスが良く分かると思います。実際に自分がやれと言われれば怖い作業ですが、原作を知らなくてもその映画単体が面白いと思えるものがきっと最高なのでしょう。
…その2へ続きます。
2012年07月2日
不器用と器用
「自分、不器用ですから」
どこかで一度は耳にしたことのあると思います。高倉健さんの有名な台詞ですね。朴訥な健さんのキャラクターと相まって、不器用なことの格好良さみたいなものをどこか感じてしまいます。言葉として「不器用」より「器用」な方が、当たり前のように良いはずなのですが、この台詞に感じる魅力は何なのでしょうか?何でも器用にこなしてしまう、そんな人の方がスマートで格好良いはずなのに。
ジャンゴ・ラインハルトという人物
私の好きなギタリストにジャンゴ・ラインハルトという人がいます。この人はキャラバンに乗って移動しながら生活する、いわゆるジプシー(ロマ族)出身のギタリストです。ある時、そのキャラバンが火事にあってしまい、彼は左手に大変な火傷を負ってしまったそうです。演奏家として思うように演奏出来ないというハンデを抱えてしまったのですが、後にスウィング・ジャズとロマ音楽を融合させた「ジプシー・スウィング」というものを生み出しました。今、残っている音源からも、独特の素晴らしい演奏を聴くことができます。
不器用さの魅力とは
そんな彼ですが、果たして器用だったのでしょうか?ある意味ではそういった見方もできるでしょうが、やはり私は不器用さの方が強く感じます。ギターを弾く事を無しに生きていくことは出来なかったように思うのです。「好きだから」という理由だけでもなく、「これしか出来ないからやっている」という気概をどこか感じます。そう思うと古今東西、その作品や事歴が残っている人達は、皆そうだったように思えてきます。ゴッホしかり、ベートーベンしかり。またそういう気概が、時代を超えて人を惹きつけていくものになってゆくのかなと。決して丸くはない。歪なものに映るかもしれない。「自分、不器用ですから」「自分これしか出来ませんから」そんな心の声が聞こえてきそうな気がします。
2012年06月17日
ぶらぶらしていると、たまにこういう不思議なものを見ます。一体誰を呼び出せるのか、まったくわかりません。ただ並んでいる姿に、どこか昔の未来を感じました。どこに繋がっているのか、いっそ全部押してみようかという衝動に駆られますね。
レトロフューチャーという言葉にはどこか少しお馬鹿で、どこか少しバブリーなイメージもありますが、同時にワクワク感も抱いてしまいます。子供の頃に描いた、途方も無い夢と言いますか。超合金ロボなんかもそうなんですかね、SFジャンルのスチームパンクとか単純に言葉の響きも好きです。
駅の自動改札機、リニアモーターカーなどにも、どこかレトロフューチャー的な物を感じてしまいます。あの頃の未来、懐古趣味と言えばそれまでですが「あの頃は良かった」だけで終わらない感じも好きですね。芸術と言われる物もその範疇に入ると思いますが、それらキラキラした未来も含めて大の大人が真剣に考えて創っている物ですから。